夜勤明けの晩酌後ブログ。

日記
08 /04 2017
蒼穹

気温

今日は何の日 8月4日

箸の日

毎日の食事のときに欠かせない箸への感謝を表すことを目的に、株式会社藤本商會本店が制定。日付は8と4で「ハシ=箸」と読む語呂合わせから。

生きることに欠かせない食事の必需品ということもあって、箸がいつから日本に伝えられたかは意外と考えたことはないのではないでしょうか?
しかし実は定かではなく、様々な説があります。その中でも有力な説が「日本書紀」や「古事記」では箸の記載があり、これを箸の起源とする説と、小野妹子ら遣隋使が中国文化を持ち帰り、中国の食法の箸食と一緒に箸が伝来したという説です。

箸といってもお値段は様々。良い箸であれば使い方次第で長持ちしますが、基本的に使用期間は1年ほど。
折れてしまって使えなくなった時はもちろん、箸先の先端の塗料が剥がれてきた時や、箸の先端が白っぽくなったりまたは黒ずんできた時が替え時ですよ。

橋の日

「は(8)し(4)」の語呂合せから、河川と橋を通して郷土愛の精神を培い、河川の水質向上を図ることを目的としています。
宮崎市の湯浅利彦氏の提唱により生まれ、宮崎県の「橋の日実行委員会」が1986年に制定。

宮崎県宮崎市で発祥した記念日ですが、語呂合わせの記念日ということもあって全国でも活用されています。
過去には、瀬戸内海をまたぐ瀬戸大橋で普段入ることのできない場所に入るイベントが行われたり、隅田川に架かる千住大橋で橋とその周辺を清掃する「千住大橋大掃除」が行われました。

夜

こんばんは(=゚ω゚)ノ、今週は今日が夜勤明けの金曜日なので、帰り際に、同級生の経営する理容店に行き、夏向けのサッパリとした髪型にしました。

蝉

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道

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松島十湖(まつしまじっこ)WIKI

誕生地 現:浜松市東区豊西町
生年 1849(嘉永2)年3月17日
没年 1926(大正15)年7月10日
松島十湖とは

明治、大正の時代に、第二の芭蕉といわれ、全国に多くの門弟を持った俳人

生涯

1849(嘉永2)年3月17日豊田郡中善地村(現:浜松市東区豊西町)の昔からの農家の家に誕生。6歳から撰要寺で教育を受けた。
父の死を経験し、その後15歳になると俳句に興味を持ち、当時遠州で有名な俳人だった栩木夷白(とちぎいはく)の弟子となり、雅号を十湖とした。
天竜川の大洪水で田畑や家屋が押し流され、家屋復旧に翻弄されながらも勉強を続け、わずか二年で俳句選者の地位を与えられた。
栩木夷白の死後は、伊東嵐牛(いとうらんぎゅう)や東京の俳人、橘田春湖に教えを受けた。国学、漢学、和歌、絵画などを学びながら、さらに人間を磨くためにと、報徳学者である小田原の福山竜助の元を訪ね、報徳主義者の一人となった。
1869(明治2)年、天竜川の堤防が決壊し、村民が大変な被害を受けたときには、自分の家の蔵を開いて、米麦を村民に与えた。
また中善地にも渡し船がほしいと浜松県庁に36回も直談判をし、開設許可を得た。
1874(明治7)年十湖は中善地村に「三方報徳社」を組織し報徳の教えを広め、1876(明治9)年には浜松県公選民会の議員に選出され、同年、静岡県に合併されると県会議員となった。
当時盛んだった養蚕に熱心で、村民に飼育法を教えたり、自らも飼ったりしていた。
それと同時に自宅横に「撫松庵」を建て、俳道の普及にも努めていた。
1880(明治13)年からは県庁に勤め尽力。さらに翌年からは引佐麁玉郡長として気賀に赴任。役所の精神改革をしたり、農業振興のために「西遠農学社」を創立したりした。また道路を作り、橋を架け、学校校舎新築も奨励ることも積極的に行った。
役所の仕事と同時に俳句の道も休むことなく、「西遠吟社」を設立。郡内をめぐった紀行文を出版して配布したり、行った先々で俳句を残したりした。
俳句を盛んにするため、後世まで残る句碑を建てることが必要と、多くの句碑を建設した。
1887(明治20)年笠井町に大火があったときには救助と復興に尽力。司祭を寄付。同年豊西小学校の前身である小学校の校舎新築にも寄付している。
1896(明治29)年浜名郡郡会議員就任。
1925(大正14)年鴨江寺(現:中区鴨江町)境内に十湖の銅像が建設され、翌年除幕式が行われた。この銅像は戦時中に供出したため、今はない。
そして1926(大正15)年7月10日死去。東区豊町の源長院に祀られている。

作品例

浜松は出世城なり初松魚(八幡宮:中区八幡町)
三日見ぬ細江のへりの青田哉(細江神社:北区細江町気賀)
何事もかかる浮世か月の雲(実相寺:北区引佐町金指)

人となり

奇人として知られ、貧しさを喜び、人に施すことを楽しみにしていた。
郷里を離れているときには、いつも母親に陰膳をあげて孝行心が深かった。
白ひげを長く伸ばし、長髪を後ろになでつけ、らんらんと光る眼が特徴的。
金原明善とともに「遠州の翁」と呼ばれた。

参考

『遠州偉人伝 第一巻』(浜松民報社)

浜松情報bookより抜粋

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普段の散歩コースにある「(松島)十湖百句塚」、ポケストップにも為って再注目しています。

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今日の気に為る話題は此方です。

「ポルシェよ、お前もか」…ドイツ4ブランドがフォーミュラEに流れるワケ
ライフスタイル
モータリングライター&エディター
世良耕太
2017.08.03


7月28日、ポルシェはル・マン24時間レースをシリーズの一戦に含むWEC(世界耐久選手権)から2017年シーズン限りで撤退すると発表した。これでだけでは説明不足で、919ハイブリッドで参戦している最上位カテゴリーのLMP1-Hからは撤退。911 RSRで参戦しているLMGTEカテゴリーへの参戦は継続する。
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それにしても、ショッキングなニュースだ。ポルシェが2017年シーズン限りで撤退することにより、LMP1-Hにはトヨタだけが残ることになる。競争相手を失ったまま、単独で参戦を続けるのだろうか。トヨタの撤退発表を受け、トヨタ自動車の豊田章男社長はTOYOTA GAZOO RacingのFacebookに以下のようなコメントを寄せた(抜粋)。
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トヨタ自動車の豊田章男社長とDr.ポルシェ。来年のル・マンでの勝負を楽しみにしていたのだが…
「ポルシェがWEC(世界耐久選手権)LMP1から撤退することを決めたと聞き大変残念に思います。
昨年、ル・マン24時間レースにおいて、ポルシェチームとは、優勝を懸けて競い合うような良い戦いができ、私どもトヨタのことをライバルと認めていただけました。
そして本年の戦いに向けて、そのポルシェの気持ちに応えたい、そして超えたい…
その想いで我々は努力を重ねることができ、新たな技術や技能を実現することに力を尽くせています。
今年のル・マンではDr.ポルシェと再会でき、お話をさせていただきました。
ポルシェも、我々と同じく、もっといいクルマづくりの為にモータースポーツに取り組んでいるというお話を聞きました。
それを、ずっと前から、継続して取り組まれているポルシェは本当に尊敬すべきカーメーカーです。
そのポルシェと、来年は同じ道で競い合い、技術を高め合うことが出来なくなると思うと、本当に寂しく、残念に感じます」

豊田社長の落胆ぶりが文面からにじみ出ている。

ポルシェの撤退を受け、WECのプロモーターであり、ル・マン24時間レースのオーガナイザーであるACOは次のような声明を出した。

「(ポルシェは)2018年末まではLMP1に参戦すると確約したばかりだったし、2020年に導入される技術規則の整備に積極的に取り組んでいた。それなのに、突然の撤退発表は残念でなりません」

参戦を続ける素振りを見せながらの撤退発表だったことがわかる。では、ポルシェはなぜ急にLMP1からの撤退を決めたのだろうか。理由は「電気自動車」に注力するためだ。2017年限りでル・マン/WECから撤退するポルシェは、2019年からフル電動車両で競技を行うフォーミュラEに参戦すると発表した。

発表リリースの中でポルシェは、フォーミュラEに参戦する理由を「ポルシェが現在開発中のミッションEに代表される経営方針『ポルシェ ストラテジー2025』に沿ったもの」だからと説明。ポルシェAG研究開発担当役員のM・シュタイナーは次のように補足した。

「フォーミュラEに参戦し、成功を収めることは、我々が開発中のミッションEの論理的な成果といえます。独自に開発したテクノロジー採用の自由度が増しているフォーミュラEは非常に魅力的なカテゴリーです」

2014年にル・マン24時間に復帰したポルシェは、2015年、2016年、2017年と3連覇を果たした。ポルシェの説明を借りるまでもなく「輝かしい4年間の活動」だった。ハイブリッド車両で行うレース活動の目的は果たした。次はフル電動車両の番、ということだろうか。

「ポルシェよ、お前もか」という感じだ。厳しい環境規制が待ち構えていることもあり、ドイツの自動車メーカーはこぞってフル電動車両(すなわち電気自動車)への道を突き進んでいる。アウディは2014年から始まったフォーミュラEに参戦初年度から技術パートナーの立場で関わっているが、既存チームを買い取ることで、2017年12月から始まる新シーズンからワークスチームとして参戦すると発表した。

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アウディ、BMW、メルセデスに続きポルシェまでもがフォーミュラEに参戦
BMWも既存チームとパートナーシップを組み、2018年からワークス参戦を開始する。メルセデス・ベンツは、ドイツ国内で絶大な人気を誇るDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)から2018年シーズン限りで撤退し、2019年からフォーミュラEに参戦すると発表した。

2019年にはアウディ、BMW、メルセデス・ベンツ、ポルシェという、ドイツを代表する4ブランドがフォーミュラEに集結することになる。ドイツの自動車メーカーはこれから電気自動車の開発に力を入れていく。だから、電動パワートレーンの技術力をアピールできるフォーミュラEに参戦し、自社ブランドの優位性を潜在カスタマーに訴えたい。

エンジンが主役のレースカテゴリーからフォーミュラEへのシフトは、ドイツの自動車メーカーの宗旨替えを反映している。ユーザーも一緒について行くだろうか。

世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全...
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愛車は「頭文字 D(Mazda デミオ)」の「やっとこ」です、徒然なる日常を一言日記風に綴り始めて8年越え、現在はデジカメ写真の日記風備忘録です。
一応、自作パソコンから家庭菜園まで趣味と日常生活目線で綴る日々、お気軽にお寄り下さい。